2003-09-29
Link 気分は選民、身分は貧民
マイケル・ムーア監督のDVDビデオを何本かお借りしたので、ひさびさに我が家のテレビにスイッチを入れて鑑賞した。見たのはデビュー作の「ロジャー&ミー」と「ザ・ビッグ・ワン」「アホでマヌケなアメリカ白人」の3本。のちの2本のほうが娯楽として笑える部分は多いが、私の関心を強く引いたのはデビュー作のほうだ。
「ロジャー&ミー」は、ムーアの故郷であるミシガン州フリントを舞台としている。この町はGM社の企業城下町で、当人以外の親類全員がGM社に勤めていた。ところがある日、GMはフリント工場の閉鎖を宣言する。8万人の従業員のうち3万人が職を失い、GM頼みでやってきた町の失業率はやがて25%に達する。失業の増加とともに社会は荒廃し、犯罪が増えていく。その荒廃のさまを撮ったのがこの映画だ。現在、町は破産し、フリントは州の管理下に置かれているという。
私がこの作品に興味を抱いたのは、昨春、父の実家である熊本県荒尾市を訪れたからだ。荒尾は大牟田のすぐ隣で、三井三池炭坑の炭坑町だった。だから私はフリントの状況を閉山後の荒尾に重ねて見ていた。その後観光に乗り出したところも似ている。ただし、フリントのほうが荒尾よりも悲惨であることは確実だった。犯罪者の増加によって刑務所が不足し旧GM工員が看守として雇用され、かつての同僚を監視する――このような事態には荒尾は陥っていない。子供たちの87%が貧困線以下の生活を強いられていることもない。
このDVDにはムーア自身による音声解説がオマケとしてついてくる。そのオマケの中でムーアは、同じく不況にあえいでも立ち直った地域のあることを指摘し、一企業の城下町だったフリントの住民は自ら動こうとせずGMの復帰を願うばかりだった、と住民の依頼心を批判している。また本編の中では、フリントの工場で起きた1936年のストによって組合が結成された事実を強調している。ムーアは住民の行動に期待していた。実際、映画の公開によってフリントの状況が好転することを夢見ていたようだ。
人びとの行動によって事態が変えられるという信念の背景には、民主制への信頼がある。民主制であるかぎり、一株一票ではなく一人一票だ。たとえ大企業でも、大っぴらに法に触れる行動をとることはそうない。望ましい方向へと法整備を行なっていくことが唯一の道であるとムーアは考えているように見える。私は民主制そのものに価値を見いだしているわけではないから、食えない民主制よりは食える独裁制のほうがマシだと思っている。
DVDの中で「物わかりのよい」労働者をときどき見かける。どう見ても抑圧されている側であるにもかかわらず、企業側の説明を真に受けて自らを納得させている人たちだ。いまはどうなっているのか知らないが、「自由主義史観」を語る人の中にもそのような者がいた。天下国家を語り悲憤するのに、自らが所属する地元の問題の解決に動こうとはしない。関心すら寄せないこともある。かつて戦中の国策標語に凝っていたころ、そういう不幸な人びとのために「気分は選民、身分は貧民」という標語を作成した。自らの置かれている立場の自覚なしに天下国家を語れたほうが、気分はよいのかもしれない。
上のような事例を見ると、公教育は人びとを従順にさせるだけでしかないのか、という気持ちになることがある。おそらくムーアは行動しない評論家を評価したりはしないだろうが、従順な人たちが行なっているのは評論ですらなく、誰かの受け売りでしかない。受け売りであるという自覚があればよいのだが……。