2000/6/30
丙午伝説

『朝日新聞』で出生率が1.34人になったことが報じられている。(1) 記事の隣に出生率・出生数の推移を描いたグラフが載っているので見てみると、1966年だけ出生数が激減している(1965年が180万人、1967年が190万人ほどなのに対し、1966年は136万人)ことに気がつく。グラフには「ひのえうま」という注釈がある。まさかと思っていたが、丙午の迷信が20世紀後半にまで健在だったとは知らなかった。次の丙午は2026年。どうなるだろうか。(2) 第1次ベビーブームが1949年、第2次が1973年。この間隔でいえば第3次は1997年ということになろうが、出生数は90年から横這いだ。晩婚化の影響かしら。

2000/6/29
ホチキスをとめる位置

A4の紙を束ねてホチキスどめするとき、あなたはどこにとめますか? 多くの人が左上にとめるという実態を知って、私は驚きました。だって、ずっと右上にとめていたんだもの。これには確固とした理由があって、日めくりのカレンダーをめくるときも左下から右上にめくっていく。これは右上にとめることと合致する――というのは後付の理屈で、世間との衝突を避けるため左にとめたいと思います。

2000/6/29
昆虫観察

モンシロチョウを見かけたとき、蝶はどれくらい高く飛べるのだろうかと疑問にもつ。もっとも、50メートルくらい飛べたところで花はないだろうが……。最近の行き帰りの楽しみは軒下のアリの巣を観察すること。朝早くはアリの動きは総じて鈍い。雨上がりだと、巣の修繕のためか活発に動いている。

2000/6/29
おすすめの新書が2冊(今回は文春新書)

まず谷岡一郎『「社会調査」のウソ――リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書)は抜群におもしろい。徹頭徹尾が既存の社会調査に対する批判であり、その批判が具体的だからだ。『統計でウソをつく法』という名著があったが、それの社会調査版だと考えればよい。なお、平松貞実『世論調査で社会が読めるか――事例による社会調査入門』(新曜社)もオススメ。ちなみに私は統計をやっていますが、社会調査に関しては無知です。

つぎに荒井一博『文化の経済学――日本的システムは悪くない』(文春新書)。話をかいつまむと、(a)新古典派経済学は自己合理的な発想を基本とし、自己抑制などの文化的な行動を分析することができない。(b)日本は西欧と異なり高信頼の文化をもった社会だ。(c)高信頼に基づいた終身雇用制は生産性を高める。(d)害となるのは派閥主義であって、終身雇用制そのものではない。(e)ところが新古典派の普及その他で日本人の公共心は減少しているのが大問題だ。

これはきっと山岸『信頼の構造』と引き合わせて読むと楽しいぞと思っていたら、荒井は批判対象として山岸を引用していた。以下に感想を記す。

(1)市場が完璧さを増すほど効率性が上がるというのはまちがいで逆に不安定性が高まるという主張は、たぶん正しい。数理モデルも作れるだろう。遊べる材料が手に入ったので私は嬉しい。

(2)「終身雇用制」は高信頼社会・日本の特質であるかのように書かれている。これは本当か? 森嶋通夫は講演でイギリスも終身雇用制だと主張していた。それに、日本で終身雇用制が確立したのは戦後で(野口悠紀雄『1940年体制』ほか)、大正・昭和前期は雇用の流動性は高い。この当時の日本は低信頼社会なのか。

(3)山岸の数々の主張を心理実験にすぎず現実味がないと退ける荒井が提示するのは個別な事例ばかりで一般性がない。

(4)集団主義自体は悪くなく派閥主義が悪いというのだけれど、これらは本当に分離可能なのだろうか。むかしを理想的に語るのは儒学の伝統だが、陸海軍の保身を想起しよう。

(5)「武士道」を「すべての階級や男女も含む日本民族全体の古代以来の倫理を表していると考えるのが適切」というのはトンデモっぽい。「嘘をつくこと」は「臆病」とみなされるって、東国の人は荒々しおすなあと思って著者の出身地を見ると長野県で妙に納得する。京都人と嘘については『徒然草』を参照。

2000/6/29
Cygnusに慣れるために

少しはCygnusにも慣れたほうがいいということで説明サイトを探す。紹介・導入・設定・Tipsを手際よくまとめたページを発見し、それに基づいて.bashrcの設定をする。cygnus.batからbashを起動すると最初のディレクトリが嫌だなと前から思っていたのだが、この問題はcygnus.batをホームディレクトリに置くことで解決した。

2000/6/27
おすすめの新書が2冊(今回は心理学関係)

まず市川伸一『勉強法が変わる本――心理学からのアドバイス』(岩波ジュニア新書)から。世間にはどうもジュニア新書を中学・高校生向けの低俗な本だとみなす悪弊があるようだが、実をいえば中高生向けに内容を平易に書くほうがずっと難しいために、このシリーズの質は高い。心理学の説明と英数国の勉強法への応用とをバランスよく配分している。あまりに理想主義的に傾いていないところがすばらしい。むしろこういう本は教える側が積極的に読んでほしいもの。

山岸俊男『社会的ジレンマ――「環境破壊」から「いじめ」まで』(PHP新書)。とりあえず山岸『信頼の構造』(東大出版会)を読んでいない人は最初の2章に驚かされるだろう。すでに『信頼の構造』を読んだ人なら、そこでの議論を社会へ応用していると考えると理解しやすい。実は人間には「感情的だが合理的に行動する」ような本能、みんなと信頼関係にあれば自分も協力的行動を行なうことに満足を見いだす本能が脳に備わっているのだという第4章、また社会的ジレンマを解決するためにはアメとムチだけに頼るのではなく、「正直は最良の戦略」教育が必要だということを記した第6章がよい。

どうも私は話を教育論に結びつけて考えてしまう癖があるので、中でも「アメとムチ戦略」の崩壊がおもしろかった。きれいな絵が描けたらご褒美をあげますといわれた集団と、いわれなかった集団のどちらもに褒美をやる。そうしたとき、次回に褒美をやらなくてもどれだけ積極的に絵を描こうとするか実験したところ、褒美がもらえると告知された集団の実績が明らかに低い。これはつまり、絵を描くという内在的な楽しみが外部要因によって破壊されてしまったことを意味する。なんと示唆に富む話ではないか。社会心理学は実験が面倒なので私が最もやりたくない学問のひとつだが、そこから得られる結果は最もおもしろい学問のひとつだと私は思っている。

2000/6/27
標識普及宣言

TeXbookで見かけて以来、そこに出ていた「dangerous bend sign」がすっかり気に入ってしまいました。それから使う機会をうかがっていたのですが、いまだ出てきません。そこで「危険な曲がり角」普及宣言を行ないます。ちょっと難しいことを書いているかなあと思ったときには、積極的に使うようにしましょう。

When a symbol
dangerous bend sign
appears at the beginning of a paragraph, it warns of a "dangerous bend" in the train of though; don't read the paragraph unless you need to. Brave and experienced drivers at the controls of TeX will gradually enter more and more of these hazardous areas, but for most applications the details won't matter.

2000/6/25
予測と結果

選挙はおまつり。民放各局の20時時点での予測(ただし日テレは21時)と、最終結果を下に掲げます。今回は、各局の予想議席数が刻一刻と変わっていく様子を観察できて満足しています。たとえばテレビ朝日をとってみると、20時時点の予測のほうが23時時点の予測よりも正確なんですね。ああ、でも絶対安定多数を許しちゃった……。

         日テ    TBS    フジ    朝日    現有×0.96  結果
-------------------------------------------------------
自民      234    250     240    236           260   233
公明       24     30      23     30            40    31
保守        7      9       7      6            17     7
民主      142    119     136    133            91   127
共産       21     24      21     20            25    20
自由       16     18      20     16            17    22
社民       16     13      17     16            13    19
 他       20     17      16   (23)            14    21

2000/6/25
Acrobatの挙動

TeXでtimesパッケージを使う利点は、PDF化したときの容量が小さくできるということに尽きる。Acrobat(Reader)がもつフォント代替機能のおかげだ。たとえばTimesはTimesNewRomPSMTに、HelveticaはArialMTで画面上では置き換えられている。意地悪してTimesNewRomPSMTを外してみると、今度はAdobe Serif MMで置換された。それでもPostScriptプリンターで印刷するときには、ちゃんとTimesで出してくれる。どういう仕組みなのかわからないが、うまく作ってあるものだ。

2000/6/25
文化の伝播

社民党の土井さんや日本共産党の不破さんは、かつて自分は軍国少年少女だったとおっしゃっていた。自由主義史観の藤岡さんは、かつて日本共産党員だった。この3者の共通項を見いだせば、代入型人間ということになるだろう。ある価値基準を自らに代入して、それに寄りかかる。その価値は実のところ軍国精神でも綱領でも会社でもかまわない。寄りかかって安心することに意義がある。こういった代入型人間を大量に生み出した要因のひとつに国民精神総動員運動があった。

実際、戦時中の精神文化はむしろ戦後になって各層に浸透したと考えてよい。滅私奉公の企業社会は、招集された男たちの軍隊経験を変形したものだ。「みんな仲よくよい社会」は「一億火の玉」と大差ない。みんなが仲よくなくても互いに尊重するのがよい社会のはず。みんなが仲よくあらればならない理由はない。そういう強迫的神経は、かえって社会に緊張をもたらす。

2000/6/25
Netscapeになびく

スタイルシートを手直しして、Netscapeでの可読性を改善しました。いままでNetscapeで読みづらかった(段落間がつまっていた)原因は、連続するP領域ではmargin-bottomが無効になるという仕様のせいです。かといってmargin-topを大きくとると、こんどはH4との間隔が開きすぎる点が問題でした。今回は、第2段落以降にidをふることで、先頭段落とは違ったアキを指定するようにしてみました。私はアクセス解析を行なっていませんのでNetscapeで見ている人がどれくらいいるか知りませんが、かえって読みにくくて困るという方がいれば教えていただけると助かります。

2000/6/24
生茶の勝因

生茶という茶を好んで飲んでいる。しかし、このお茶がいいのは「お茶にも生があったんだ」という「生」さ加減ではないと思う。考えてもみよ。「生茶」に対抗するために「お茶にもドライがあったんだ」とか、あるいは「ラガー茶」「端麗茶」などを開発しても売れそうにもないではないか。私が好きなのは、巻き紙の表面処理だ。すべすべしていて気持ちいい。実をいうと私は小6のころにある雑誌にこの処理のしてあるのを見つけ、それ以来とりこになっている。いまでも『数学の楽しみ』(日本評論社)などを闇雲に買ってしまうもの。肌ざわりはたいせつ。

2000/6/24
下之感想五題

OptimaはTFMファイルやVFファイルがあらかじめCTANで準備されているので、あるていど楽ができる。しかし、好きな書体を自在に使いたいのなら、TFMを自力で作らねばならない。乙部さんのページで、はじめてそのようなツールの名前と、それが自分のTeXの階層に存在することを知った。また、ASCIIのpTeXページには貴重な解説がある。

WindowsでTeXを使うと、PostScript Type1書体が楽に扱える。現に、私の計算機にATMは入っていない。プリンターの普及率を考えればTrueTypeにも目を向けなければならないのだろう。こちらも乙部さんがすばらしい仕事(書体拡張プロジェクト)をなさっている。

ビットマップをPDFに埋め込むと、画面上では判読すらできない。たとえばEulerのType1は5、7、10しかないので、本文サイズを12ptにすると6、8が不足する。それが嫌で破廉恥な方法も厭わないなら、dvipsの設定でeufb、eufm、eurb、eurm、eusb、eusmの6と8とを5と7とに対応づけるといい。Macなら$TEXMF/dvips/base/psfonts.amzあたり、Windowsなら$TEXMF/dvips/base/bluesky-dl.mapあたりに手を入れる。しかしPKフォントは線型に拡大縮小されるのではなくサイズに応じて微調整がなされるので、ほんらいならeurm6を単純にeurm5で置き換えるべきではない。

この手は、xdvi(Mac版)の画面用書体にも利用できる。たとえばEUFM8をPKで画面表示させたくないなら、「AMS/PS screen fonts」のスーツケースからEUFM7を取り出してコピーし、EUFM8として振る舞うようにResEditで編集する。しかるのちにスーツケースに再び収納すればよい。

いっぽうで、OptimaのType1をxdviで画面表示することは現段階ではできないかもしれない。内山さんのページによれば、「TeXのフォント名とMacOSのフォント名を対応させるため」の対応表はxdvi内部にある(実際、DATAリソースにある)そうだ。したがって、PKファイルを用意するのがいいのだろうというわけでOptimaの画面表示用PK(300dpi)を一通り準備してみた。しかし、これを再配布していいのかどうかわからない。ダメなような気がする。

2000/6/23
Optimaまでの道のり

TeXの文書にOptimaという書体を取り込むのが夢だった。現在、Windowsではプレビュー・印刷とも可能。Macではプレビューはできない。(これはxdviの仕様かもしれない。)ここまでで記録しておくべきことをメモしておく。

(0) Adobe標準35書体が正しく表示・印刷できるていどにはTeX、dviware、GhostScriptが設定されていることは大前提。(1) CTANからOptima一式を持ってきて適切な階層に配置する。(2) pfa書体の名前を変える。立体・斜体・太字・太斜をそれぞれ「popr.pfa」「popro.pfa」「popb.pfa」「popbo.pfa」にする。(Windowsの場合には改行コードをLFにすること。)これを$TEXMF/fonts/type1/adobe/optimaに格納する。(3) $TEXMF/dvips/base/psfonts.mapに以下の文字列を加える。

popr8r Optima <popr.pfa "TeXBase1Encoding ReEncodeFont" <8r.enc
popro8r Optima-Oblique <popro.pfa "TeXBase1Encoding ReEncodeFont" <8r.enc
popb8r Optima-Bold <popb.pfa "TeXBase1Encoding ReEncodeFont" <8r.enc
popbo8r Optima-BoldOblique <popbo.pfa "TeXBase1Encoding ReEncodeFont" <8r.enc

ほかにもなすべきことがあったかもしれないが、忘れてしまった。あとはarticle.clsをもとに適当にクラスファイルを作ればよい。というわけで、本文にAGaramond、見出しにOptima、数式にEulerを使った例(PDFファイル。000625改良版)を挙げておく。

2000/6/23
仮名遣いの勘違い

歴史的仮名遣いを使おうと試みている若い人を見かける。っていうか私もたまに使ったりするのだけれど、歴史的かなづかいは難しい。この仮名遣いが平安時代に存在したのだという誤解は置いておいて、なんでも規則的に変えればいいというものでもない。たとえば現代語でどれも「じょう」となる冗・成・饒・定・条・帖はそれぞれ「じよう」「じやう」「ぜう」「ぢやう」「でう」「でふ」と書き分ける。「冗談」を「じやうだん」と書くのは誤りだ。とまあ、こんな七面倒なことをせずにすむのだから、現代仮名遣い好き好き。丸谷才一粉砕!

2000/6/23
アップデートの季節

忘れそうなので、書いておきます。まずWZ Editor 4.0D。(ビレッジセンターは重いので、著者の山口氏のページからダウンロードする。)それからTeXIE 1.5.2。CR+LFやLFのファイルも正しく保存できるようになって幸せです。Mac OS Xではデフォルトの改行コードがLFになるそうですね。

2000/6/22
Namazuの前のPerl

Win 32版のNamazuが使いたくなったのでインストール――するが失敗。どうやら私のPerlのバージョンが古いらしい。Namazuは自動インストールに失敗するとreadmeを参照に細かい作業をする必要があるので、Namazuを入れたい人はあらかじめActivePerlを522にしておきたい。namazu.elをsite-lispの中に入れれば、M-x namazuでMeadowからもNamazuが使える。Perlのバージョンを上げてNamazuが使えるようになったので、もしやと思いlatex2htmlを試してみるがうまくいかず。

2000/6/22
スローガンを宙に浮かべて

電車の中で、鈴木名人から森川方達『帝国ニッポン標語集』(現代書館)をご紹介いただく。これは戦時中の国策標語を4000点以上集めたもので、その努力に感銘を受ける。中でも国民精神総動員運動の標語はうまくできていて、たとえば「権利は捨てても義務は捨てるな」。もちろん、「一億火の玉」といった古典的なネタも漏らさず収録している。現代なら、「一億火の車。進めインフレ弛まぬ消費」かなあ。

「ニッポン」というのも標語らしい。日本はニホンともニッポンとも読めるが、「ニッポン」は明治末期に軍人が編み出した読みかただ。(ニホンだとふやけてしまうからだという。やはりホの字が問題なのかな。)鈴木名人がこの本を買ったのは高校時代だそうで、加藤周一も真っ青の文化人ですね。どうでもいいけど、最近『朝日新聞』はマイクロソフトをマ社と略すことが多く、見るたびに私は「マ元帥」を想像してしまう。

2000/6/21
都市と農村

『朝日新聞』夕刊の木村彰一「新しいビジョンを求めて(上)」の中に、なかなかよい言葉があった。カッコの中は石川好の発言。私は農村をちらりと見た経験があるにすぎないけれど、「地方分権」には懐疑的だったりする。あと30年で変わるだろうか。

「都市部では政治のありがたみがなかなかわからない。水道くらいでしょう。地方にいると明らかに政治が存在しているのがわかる。陳情で公共事業予算がつけば道路ができ、雇用が生まれる。だから都市部より危険が少ない。本当は都市からの税収が地方に流れているのだけれど。権力が一番喜ぶのは税金だけ払って棄権してくれるやつです」
 おとなしく文句を言わない層に負担をかぶせるのは政治の常道。投票率の高い「身内」の利益共同体に向けた政治が出現する。地方・農村に厚く、都市に薄く。借金のつけは棄権率が高い若年層、投票権さえない未来世代に。

2000/6/21
かけ算を知る

『数学セミナー』別冊の『数学のたのしみ』19号にあった吉本佳生さんの「パソコンを使わない教育のすすめ」。グラフ作成を表計算ソフト任せにしていると学生の勘が鈍るから反対という話は賛成。計算でも、あるていどはそうだ。それとはべつに、例がよかったので取り上げておく。

ひとつの顧客につき10種類のデータが入力されていくようなデータベースがあるとする。その10種類のデータのうち、ひとつでもゼロがあるような顧客を抜き出したいというときには、どうすればよいか。これと同様の質問を友人から受けたことがある。ちょっと多機能な表計算ソフトでデータベース機能を組み合わせれば、そのような操作は可能だが、表計算ソフトを使っているのなら、もっと簡単な方法がある。それぞれの顧客について、10種類のデータをすべて掛け合わせるのだ。どれかひとつでもゼロがあれば、計算結果は必ずゼロになる。だから、その計算結果がゼロかどうかに応じて抜き出せばいい。ゼロは、他に何をかけてもゼロになるといった、基本的な数学の知識が身についていれば、すぐに思い浮かぶ工夫だろう。

2000/6/19
かなわん言葉

NHKラジオの政見放送を聞いている。今朝(7時半〜)は神奈川県で、自由連合・自民・社民の放送だった。「安心」を持ち出す候補者が多い。安心なんて判断停止の異名にすぎん。もっとかなわんのは「心の教育」で、こういう候補者にとって北朝鮮の子どもたちはさぞかし立派に映るのだろうなあ。愛国心も公共性もあるし。けっこう好きだった自由党まで義務教育は国の責任などと言い出す始末。

しかし今朝は、社民党・原よう子氏の演説を聞いて吹き出しそうになってしまった。のっけから「じゅ・う・よ・ん・くっ。は・ら・よ・う・こっ」。ひょっとすると、すごい人物かもしれない。この方が当選すれば古川さんは最年少議員という肩書きを失うことになるかしら。

2000/6/18
largely declarativeの意味は?

declarative sentenceだったら平叙文の意味。もちろんdeclarationの形容詞だけど、この語は何か連語のような臭いがする。「大量に説明的な」→「わかりやすい」っていう意味かなあ。英語に強い人は、ぜひ教えてください。

2000/6/18
きょう出会ったいい言葉

METAPOSTを勉強しようにも適切な教材が見つけられないので、まずはMETAFONTで遊ぼうと思い、借りてきた『METAFONTブック』にあった言葉。

本書の特筆すべきもう1つの特徴は、ちょっと大袈裟だが、本書では必ずしも正しいことを述べているわけではないという点である。METAFONTのある概念を大まかに紹介する際には一般的な規則を述べ、その後ですぐに、さっきの規則は厳密には正しくない、とわかるようになっている。……中略……著者としては、このように計画的に嘘をつくテクニックを用いたほうが、実際に考え方を読者に理解していただくのがより簡単になると思っている。たしかに間違った規則ではあるが、単純な規則を理解してしまえば、憶えた規則に対して例外的な事柄を補足するのはさほど難しくない。

ところで、METAFONTは具合がいい。チャチャチャと描けば画面上に表示してくれるし、GFtoDVIを使えば簡単にDVIファイルができる。METAPOSTのほうは、できあがるのがPostScriptファイルで、しかも拡張子が「.ps」ではないので、開くときに面倒なのが難点。印刷は容易なのだが。

2000/6/17
displayスタイルの覚え書き

TeXでは、通常行内の数式と別行立ての数式とで書体のデザインが異なる。中でも大きく違うのは総和・積分・和集合・共通部分の各種記号だろう。日本で別行立ても行内も同じように処理する慣習が維持できたのは、日本語文における最適行間幅が欧文のそれよりも大きいためだと思う。もっとも、それでも積分記号は下手をすると上下の行にぶつかる。たしか小平先生の『解析入門』に山というほど積分記号が本文中に出てくるページがあって、しかも上下の行に重ならないよう(つまり2つの積分記号が縦に並ばないように)組まれていた。その職人芸に感心した記憶がある。

2000/6/17
WZMailで受信した添付ファイルを消去するには

受信ファイルを「Ctrl+E」で編集し、添付ファイルの部分をDeleteで消去する。

2000/6/16
LaTeX2HTML(現在のところ失敗中)

阿部修さんのページを見ながらLaTeX2HTMLを組み込んでみました。納得がいかないエラーが出るので備忘録をつけておきます。日本語化+Win32化パッチを当てなければ、日本語が化けるものの曲がりなりにHTMLファイルが生成されます。一方でパッチを当てると画像ファイルが生成されず、またセクションごとにページを区切ることができなくなります。阿部さんとの環境のちがいは、私の使用OSがWindows 98であること、JPerlのバージョンが少し古い(5.003_07)ことくらい。きのう6時間ほど悩みましたが、解決はできませんでした。

2000/6/16
勝手に諭吉デーその2

丸山真男の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)を、福沢諭吉『文明論之概略』(岩波文庫)とあわせて寝しなに読み、いちいち感心している。

「会議」「演説」、これらは、福沢が広めた訳語です。すべてパブリックの観念と関連している。当時まで日本ではパブリックの観念はないのです。日本で「公」というのは、昔から一般的には君主とか政府とかいう上級の権威を意味した。公園の「公」は西洋からの輸入観念です。これは当り前のことのようですけれども、非常に重要な問題です。吉田松陰などが、洋学を学んで素朴に驚嘆していることは、孤児院・養老院とか病院というような公共施設か西洋に発達しているということでした。

2000/6/15
勝手に諭吉デー

丸山真男の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)を読んで福沢諭吉『文明論之概略』(岩波文庫)を読んだことにしておこうと考えていたのだが、そういうことは「著者の最も望まぬところである」と釘を刺されたので6月15日を「諭吉の日」として『文明論之概略』『福翁自伝』『学問のすすめ』を古本屋で購入。『福翁自伝』は、誤って2冊も買ってしまった。その他、ポアンカレ『科学と仮説』、吉田洋一『零の発見』、加藤周一『読書術』など。

2000/6/14
JPGREEK計画の課題追加

コンマ・ピリオド――特にコンマをリュウミンL-KLっぽいのにしておきたい。そうすれば、和文・数式中でのコンマの不統一感があるていど解消されるだろう。句読点は半角に統一するように規定している学会誌もあるが、Computer Modernの半角コンマはちょっと軽すぎるようだ。(追記。ただし、私自身はこの不統一感はそれほど気にならない。)

2000/6/14
Webでオススメの欧文書体

WindowsでFINWebというサイトを見ると、これが画面上では読みやすい。MacでいうPalatinoのような書体だ。「Trebuchet MS」という指定だが、私の計算機に同書体は存在せず「Book Antiqua」で表示されているようだ。下に、「Book Antiqua, Palatino」の2本立てで実験してみる。(追記。Mac版IE 5で欧文書体指定を反映させるには、FONTの要素としてlang=enとするなど言語指定が必要。)

In 1670 Newton offered a series for the area under a circle to help a computer, and later he developed his method of interpolation for the same purpose.

2000/6/12
式変形してみたり

高校時代の数学は忘却の彼方にあるので、たとえば「x, yがともに実数のときx2+xy+y2>0を示せ」というような高1レベルの問題にどう対処すべきかわからない。(左辺)=(x+[1/2]y)2+[3/4]y2>0というのが普通なのかなあ。4(x2+xy+y2)=3(x+y)2+(x-y)2>0を利用するのも悪くないと思うが、「なんで4(x2+xy+y2)が思いつくんですか?」と聞かれたら「天声人語です」とか「小人さんが教えてくれました」などと答えるしかない。偏微分するのは大人げないし。(追記。「>」ではなくて「≧」だろうというご指摘がありました。まったくそのとおりです。ごめんなさい。)

2000/6/12
理科・社会の全廃

小平邦彦『怠け数学者の記』(岩波書店)に、小学校低学年では理科・社会を全廃して国語・算数、とりわけ国語に授業時間を集中配分せよという意見が載っている。文章力こそが学力の根幹なのだから、まずはそこを伸ばすという理屈だ。実際、旧制小学校はそうだったらしい。賛成。ただ、旧制時代と異なり現在は社会の学校化が進んでいるから、家庭や社会の教育機能に期待できない面がある。また、別の場所には「計算技術の訓練が必要」とあって、現在そういった腕力がなくて苦労している私は文部省を恨めしく思ったりする(←これは理不尽)。

2000/6/11
Windowsのランチャー

Macでは、古くはPowerLaunch、今はDragThing 2というランチャーを使いつづけてきました。Windowsでは長らく使っていなかったのですが、現在Special Launchを試しています。とりあえずデスクトップは片づきました。

2000/6/11
MetaPost初体験

MetaPostはMetaFontのPostScript版。わからないから、みなも氏のMePoTeXの説明書を読む。減衰曲線が綺麗に描けるなあ。gnuplotでPostScript化すると欧文書体の不統一性が気になるけれど、MePoTeXではComputerModernその他がふつうに使える。善哉善哉。(MePoTeXは現在のところNiftyのみで入手可能なようだ。また、「MetaPost」の「P」字は、PKだと出るがType 1だと出ない。)

2000/6/11
確率論と安定幻想

確率論のパイオニアである伊藤清先生は、金融派生商品に「伊藤の公式」が用いられるようになったのをあまり歓迎してはいらっしゃらなかったようだ。保江邦夫『確率微分方程式――入門前夜』(朝倉書店)によると、京都賞受賞記念講演での伊藤先生の原稿は、次のように結ばれた。「願わくば、経済戦争という戦争に駆り出された若者を一日も早く帰してやって下さい」。

実質が空洞化すると幻想が肥大化するとは森毅先生が述べた命題だけれど、たしかに社会の流動化に反するように学生の安定志向は強まっている。かくいう私が統計学を学んで確率論を勉強しているのも安定志向の一環なのかなあ。リスク(分散)はモデル内のことであって、モデルを根本的に覆すようなものではない。確率論を使って近似の精度を上げ、それで安定した気になろうとする虚しい試みとも言える。自己批判する自分がかわいい。(←これじゃあダメだよねえ。)


2000/6/10
教養学部の30年

一高から生まれた東大教養部は別にして、ほかの大学の教養部ができたのは60年代だという。そうしてできた教養部も、30年そこそこでなくなった。専門知識を学んでも急速に役に立たなくなるのだから学部教育は教養にかぎるべきだという意見は個人的に好きなのだけれど、この意見は大学生活を十代後半から二十代前半としてしか捉えられていない気がする。我四十にして大学に行く。亦楽しからず哉。

それに、世間でいわれる教養が人文主義に偏りすぎているのも気になる。微分方程式を解いて重力場での運動を理解するというのは基本的な教養に属することだと思うが、高校で省かれてからは何のこっちゃという人が多かろう。もっとも、旧制高校の文科では微分積分すらやらなかったのだから、それよりはマシなのかしら。

2000/6/10
本読みに与ふる店

ひいきにしている古本屋に行く。いちばんのヒットは彌永昌吉『数の体系(上)』(岩波新書)かなあ。下巻を探さないと。そのほか、丸山真男『「文明論之概略」を読む(上・中・下)』(岩波新書)。丸山のきちんとした本は読むと疲れるので、話口調のものが好み。波多野誼余夫・稲垣佳世子『知力と学力――学校で何を学ぶか』(岩波新書)。森毅『ボクの京大物語』(福武書店)。森は昔話として70年代は比較的たくさん書いてきたが、60年代に触れたものは少ない。本書は数少ないそうしたもの。伊藤清が森に「確率統計の教科書がないから、森さん書かへんか?」と言って森が辞退したのを引き受けたのが小針で、小針が執筆途中で急死したために森も編集に加わるようになった話は、なかなか情があってよい。森毅『ま、しゃあないか』(青土社)。これは30分で読めるふだんの森節。清水啓典『日本の金融と市場メカニズム』(東洋経済新報社)。

2000/6/10
ゴシック体の起源

築地電子活字セミナーを聞くために飯田橋まで足を運ぶ。それなりにおもしろい。日本において明朝体よりもずいぶん遅れて登場したゴシック体は、明朝体のサンセリフ化ではなく隷書体の直線化に端を発するという。生まれたばかりのゴシック体はカクカクしていた。ぜんぜん関係ないけれど、JR飯田橋駅は電車とホームとの間隔が40cmほど開いていて、ちょっと危険に感じた。

2000/6/10
思い出すと恥ずかしい失敗

予備校時代に東本願寺の向かいを歩いているとき、外国人から道を尋ねられた。よくあることなので愛想よく応対していると、彼はガイドブックを開いて指さし、これはどこにあるのかと問うてくる。彼の指さした部分には、Ryokanと書かれていた。

どういうわけか、そのとき私はRyokanを「良寛」(越後の歌人)と読んだ。はて、良寛に縁のある場所が京都にあったかしら――と思いをめぐらせるも、浮かばない。それで外国人には知らないと答え、逃げるようにその場を立ち去った。

後悔したのは、彼と別れて5分後のことだ。Ryokanとはもちろん旅館のことだったのである。

2000/6/9
ネットで見かける誤用表現

ご教授ください」というのは、よくメーリングリストや掲示板で見かける。これはたぶん「教えてください」というのをカッコつけて言おうとしているんでしょうけど、もちろん誤用です。それとも、竹中平蔵といったdoyenが「もらってよー」ってな感じで飛び出すんでしょうか。「ご教授」ではなく「ご教示」が正しい。

片手落ち」は単語自体が誤っているわけではないのですが、使いかたが変な場合が多いですね。この単語を煎じ詰めていえば「不公平」という意味なんですが、「手落ち」の意味で使ってらっしゃる方が少なくない。まあ、「××××なのは片手落ち」というと七五調になってノリがいいので誤りやすいんでしょう。

2000/6/9
シェルめぐり

bashに代わるシェルを現在も捜索しているのでございます。けっして創作ではございませんよ。きょう試してみたのはKI-Shelldashという、いずれも高速・軽量でまことに結構なもんなんですが、Meadowから呼び出せないので結局わやにせんならんくて残念でしたな。話によればWindows 2000ではcmd.exeが標準でファイル名補完に対応している(NT 4.0ではレジストリ変更で可能)ということのようで、休みに入ったらひとつ試させていただこかと、ま、こう思てるわけでございます。(以上、きょうは桂枝雀の声マネをして喉を痛める。)

2000/6/7
「テキストエディタ」という名のエディター

私が常用しているエディターを述べると、WindowsならWZ Editor 4.0CとMeadow 1.1、MacならJedit 3.05とミミカキエディット 2.0b14、TeXIE 1.51となる。これらを用途別に使い分けている現況にけっこう満足しているのだが、いざ他人に勧められるかどうか考えてみると、特にWindowsのほうは躊躇せざるをえない。WZは値が張るし、それにいくぶん不安定だ。MeadowはYaTeXを前提として使っているだけなので、TeXを使わない人にまで勧める気が起きない。

そこへ来て、「テキストエディタ」という無料のエディターを知った。エディターとしての基本性能は押さえているし、画面の印象は秀丸よりもよい。入力補完機能が、このソフトの一番の売りであろうか。ATOK 13の再変換が少しもたつく欠点をのぞけば推奨に値するソフトだ。

2000/6/6
take it for grantedの訳語

「take it for granted that...」を「……を当然のことと思う」と日本語訳するのには昔から抵抗があった。「住民はオリンピック誘致を当然のことと思う」というと、住民が誘致に強い関心を抱いて賛同しているように読めてしまうだろう。「take it for granted」はそういう意味ではない。「当たり前だと思いこんでいて、気にもとめない」ことをいうのだ。(たとえばCOBUILDには、"If you take it for granted that something is the case, you believe that it is true or you accept it as normal without thinking about it."とある。「without thinking about it」が重要だ。)

「当然のことと思う」以外に適切な訳語はないものかと当時(4〜5年前)考えた。『カレッジライトハウス英和辞典』の「(...なのは)当然のことと決め込む」というのは悪くないが、ちょっと弱い。そのときは思いつかなかったのだが、なぜか夕食を食べている最中に思いついた。「……であることに何の疑問も抱かない」というのが日本語の感じとして近いんじゃないだろうか。

2000/6/5
ネットサークル

先日、学校の出しなに女の子からチラシをいただいた。「1年なんですけどサークルを作ったばかりで男子を募集中なんです」というので「1年生でサークル立ち上げなんて偉い」と誉めつつチラシに目をやると、「ネットサークル」と大書してあるのが目に入った。ネットサークル。まず頭に浮かんだのはマルチまがいの新手の勧誘で、次にはインターネットのチャットが頭をもたげた。「で、このサークルは何をやらはるのん?」という質問に対する都立短大某嬢の説明に、私はのけぞってしまった。「はい。テニスとかバトミントンとかバレーボールです」ってあんた、それは本物のネットやないか。

2000/6/4
『朝日新聞』運動面の怠慢

『朝日』にかぎったことではないのかもしれないが、スポーツ欄のインタビューが紋切り型で芸がない。具体的に見ていこう。

メイ(巨) 「丁寧に投げすぎた? それは質問ではなく意見だ。調子は悪くなかったが、試合になると微妙に感覚が狂った」(2000/6/2)
松井(巨) 勝負を決める2打席本塁打。「完ぺき。今年はほしい場面で出ている? いつだって(本塁打は)ほしいですよ」(2000/6/3)

上での「?」文に注目してほしい。実際のインタビューでは、「丁寧に投げすぎた?」などとメイはしゃべっていない。このことにはじめて気がついたときには記事圧縮の妙手だなどと少しは感心したけれど、こう連日出てくるとつまらん。

2000/6/3
続・否定疑問文と首の振り

否定疑問文では「はい」「いいえ」と「Yes」「No」との対応が逆になることを確認したのち、しからば首の振りはどうなるのかというと、これも日本語と英語とでは逆になることを5月29日に触れました。今回はその続報で、「きょうは飲まなかったの?(Didn't you drink today?)」「いや、飲んだよ(Yes, I did.)」の「いや」がドイツ語では「Ja」ではなくて「Doch」だけれど、この場合は首を縦に振るのかどうかいう話。オーストリアで学位をとった今村先生によれば、この場合も縦に振るんですって。なるほどねえ。

2000/6/3
「子育て相談室」を聞くべし

NHKラジオ第1の「子どもと教育電話相談」が好き、とくに児童精神科医の崎尾英子先生万歳――なんて話をむかし書いたけれど、この4月から木曜午後3時にラジオをつけても崎尾先生が出てこず残念でした。が、NHKの番組表によれば午後2時台に時間がずれたらしい。名前も「子育て相談室」に変更されていました。崎尾先生の厳しいお言葉が再び聞けると思うと嬉しいのですが、午後2時は家にいないなあ。ラジオを携帯しておこうかしら。

2000/6/2
次にくるのは「π」だ

この2年ほど、業界は「i」と「e」とを好んでいるようである。iMac、internet、e-commerce……。中谷巌商売人大先生が、銀色の表紙に「e」と白抜きで書いた本を出版していて、うーんあれは誰が買うんだと思ったが関係ないよねこれ。大急ぎで話を元に戻すと、Internet Explorer(IE)というのはマーケティング的に最強に近い名前で、Netscapeが勝てないのも理解できる。

頭のいい読者諸賢なら、ieの次に来るべきものが何か見えているだろう。iを虚数単位、eを自然対数の底と捉えれば、残された数学定数は「π」である。ほら、eiπ = -1というではないか。(念のため。これは正しい結果です。疑う人は、eiθ = cosθ + i sinθにθ = πを代入すること。)ここに経済学的解釈を挟めば、i(IT関連企業)へのe(expectation、期待)から株価は上昇をつづけてきたが、本当に大切なのはπ(利益)である、ということか。

上のお話に呵々大笑していただければ光栄なのですが、世にある俗流こじつけ理論というのは、上と五十歩百歩のような気もします。(追記:Netscapeで文字化けしていたのを修正しました。ごめんなさい。それから、「中谷商売人大先生」というのは、いっけん大阪商人にしか見えない中谷先生は実は大先生なんだよという意味です。誤解を与えたとしたら申し訳なく思いますが、撤回はいたしません。)

2000/6/2
「父性」に期待できるか

中井久夫・山中康裕編『思春期の精神病理と治療』(岩崎学術出版社、 1978)を読んでいる。各著者の症例研究(?)も興味深いが、中井さんの文章がいい。林子平の『父兄訓』に「すでに十三、四歳に至れば漸々に悪業どもを見習いて次第に増長する故……子弟を持ちて実に安堵する父兄なし」と出ていることに触れたあとで、こう述べている。

この時代(注:江戸時代)において父兄がもっとも対処に苦慮したのは思春期だった(非行に対する家長の連帯責任は今日よりはるかに重く、家の興亡さえかかっていた)。しかもすでに親の無力を感じていたのである。(この自覚はもちろん、一世紀のちにも欧米にはない。江戸時代の父はすでにたとえばシーボルトの眼に甘く弱く映じている。今日のわが国の治療者も彼らの子孫であることは念頭においてよいことであろう)

少年犯罪の凶悪化が報じられると「父性の復権」を持ちだす識者がいるけれど、なんだか「父性」はあてにならないみたい。

2000/6/2
能書きとか

トップページは、月に1度ずつ真っさらにしています。先月のトピック一覧は、大きな立方体の左側面-紫タイルに保管しました。興味をもたれた方はどうぞ。また、立方体の右側面はリンク集(というより私のブックマーク)になっていたりします。