2000/11/30
五百円玉のジレンマ

京王電鉄など、五百円玉が使えない自動券売機が増えてきた。運賃は380円。手元に五百円があるのに使えないから、やむなく千円札で切符を買う。さてこのとき、出てきたお釣りを見ると五百円玉が入っているのだ。人に使わせないでおいて自分だけが使うだなんて、なんだか不公平な気がしないだろうか。かといって、多量の百円玉を吐き出されると腹が立つ。どうすればいいのだろう。

2000/11/29
教育リベラリズムの是非

木幡寛『算数のできる子どもを育てる』(講談社現代新書1522、2000年)と宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書新赤696、2000年)を読む。

算数教育法は大きく分けて2つの流れがある。勝手に命名させてもらえば、ひとつが近代主義もしくは産業資本主義、もうひとつがリベラリズムだ。前者では、効率よく知識を詰め込んで試験の成績を上げることに力点が置かれる。後者では、算数の原理や法則性を自分で気づかせるようにし向けられる。

木幡(2000)は強硬なリベラリズム教育論を提供している。強硬すぎて筆が滑っているように思える部分もある。たとえば「この点でも日本の算数・数学教育の問題点が露呈される。直線の定義すら理解できていないのだ。ほとんどの人が『まっすぐな線』と答える」(p.150)と述べ、リーマン幾何学から図形分野に入る実践を展開し、「そういうわけで、とりあえず平面をもう少し考えて見ようよ」というと「子どもたちは納得して平面幾何の世界に入っていく」(p.152)のだそうだ。

しかし、これはかなり無茶だ。小平邦彦『幾何への誘い』(岩波現代文庫G7、2000年)でも宇沢(2000)でも主張されているとおり、子どもにとって直線というのは直感的に正確に理解できるものであって、そこに疑義を挟むような話題には「決してふれないようにしなければならない」(宇沢(2000)p.130)。直線の定義が「2点間の距離が最短となる線」だと木幡は述べている。たしかにそれは正しい定義(集合と位相を学べば出てくる)だが、今度は「距離」の定義が問題となるだろう。まさか距離空間からはじめるわけにもいくまい。結局、堂々巡りになる危険が強い。

リベラリズム教育は米国で60年代に実践されたが、失敗に終わっている。方法が悪かったのか理念がまちがっていたのか。子どもの世界だけで理想を追っても大人社会が変わらないので子どもたちは世間に適応できない、との声もある。近代主義とリベラリズムとのどちらかの肩を持つことができない私は、「いろいろあったほうが楽しいんとちゃいますか」などと言ってごまかしている。

2000/11/28
Mac Office 2001は「買い」だ

Macintoshとエディターを使って文章を執筆している人なら、まちがいなくMac Office 2001は「買い」だと思います。もちろん、大切なのはOffice本体ではなく付属するMS書体です。ここまで充実した日本語ビットマップ書体は今までのMac界にはありませんでした。MSゴシックの16ポイントをJeditの表示フォントとして使うといいでしょう。自作書体を作ってから6年を経て、ようやく満足のいく画面表示が出てきました――が、すでに私は文書作成環境をWindowsでととのえており、しかもOffice 2000を使用していないので、Mac Office 2001を購入する予定はありません。

2000/11/27
必ずや名を正さんか

実家の本棚で見つけた呉智英『言葉につける薬』(双葉文庫、1998年)を読む。言葉関係の雑学本だ。トンボは「飛ぶ棒」から来たとか、菊が音読みなのは奈良時代以降に日本に渡来した花だからとか、鉄アレイは亜鈴ではなく唖鈴(dumb bellすなわち音のしない鈴)であるとか、どうでもいい知識がたくさん学べる良書だ。参考文献欄はないが、索引がついているのも偉い。

ついでだから、本書の誤植を書いておこう。

「个」が「ケ」と書きまちがえられたような例は他にもある。余分に加えられたという意味の「プラスアルファ」だ。「プラスエックス(+χ)」を「プラスアルファ(+α)」と見まちがったものらしい。筆記体のχがαに似ているからだ。ただし、このまちがいは日本だけのことである。

なーるほど。プラスアルファは和製英語だったのか。それはいいとして、プラスエックスの部分の文字「χ」はエックスではない。ギリシャ文字の「カイ」だ。

2000/11/26
From行に漢字を入れてみる

メールアドレスのFrom行をローマ字で書いていたのを漢字に改めた。他人から送られてくるメールを眺めていて、漢字のほうが見分けやすく感じたためだ。90%以上は日本国内に送るからこれでいいのだが、海外に送るときにローマ字に戻すのが少し面倒に感じる。宛先のメールアドレスがjpなら漢字で、それ以外ならローマ字で送る――という設定があれば嬉しいのだが。

2000/11/25
神戸大学印象記

神戸大学に用事があったので、実家(大阪府枚方市)経由で行ってきた。梅田から阪急(東京でいうところの東急。阪神に対応するのが京急)で六甲まで行き、そこからバスで坂道を上っていく。大学構内も階段が多く、体力がつきそうな大学だ。会場となった教室は古いものの液晶プロジェクターが使えた。

2000/11/24
スパムに返事を書いてはいけない

あなたのもとにスパム(許可なしに送られてくる大量のメール)が届いたとしよう。スパムの末尾には、次のような文がある。「もし今後メールが不要であれば、aiueo@kakikuke.co.jpに返事を出してください」。

返事を書けばスパムが来なくなるだろうか? まったく逆に、次々とメールが舞い込むようになる。あなたがもしメールを送り返せば、そのメールアドレスが有効であることを相手にわざわざ知らせているようなものだからだ。連中は、帰ってきたメールアドレスを集めて転売する。

以上は、ジム・スターン、アンソニー・プライアー『Eメールマーケティング』(大出謙訳、三石玲子監訳、インプレス、2000年)で知った。本の内容はどうでもいいものだったが、上の指摘には思い当たることがあった。

それは、Niftyのメールアドレスだ。私はスパムに返事を書いて送った。それ以来、どんどんメールが舞い込むようになってしまった。最初はいちいち削除していたが、やがて面倒になり、Niftyのアドレスそのものを使わないようにした。当時は、上のようなことを知らないほど純真だっけわけだ。

2000/11/23
テレビの音が聞こえますか

テレビをつけていると、たとえ音量を0にしていてもキーンという高周波の音が聞こえる――というのは、万人に共通する認識だとずっと思っていた。だが、それはちがうそうだ。テレビの高音などまったく聞こえないという人もけっこういるらしい。よく私は高周波の音が出る電子機器があって困ると書くけれど、この音とて誰しもが聞こえているわけではないのかもしれない。

これは大問題である。なぜなら、これらの高周波音は不快だからだ。不快ですめばいいほうで、数十分も聞きつづけていると頭痛を催す。しかし音が聞こえない人が多いとなると、改善を求める声はあまりあがらないことになる。たとえば一橋大学附属図書館のゲートからは高周波の異音が出ているが、この数年間まったく改善されない。

もしあなたが高周波音に敏感なら、自衛するほかない。パソコン用のCRTは電圧が高すぎるためか音を発しない(少なくとも私には聞こえない)ので、テレビ代わりにできるだろう。液晶でもいい。また、「科学の耳栓」と謳う耳栓もいい。あれをつけると、たしかに高周波音は遮断される。

2000/11/22
txfontsをdvioutで使うには

dvioutでtxfontsのPKフォントファイルを生成するためには、txr.mapの内容を$TEXMF/dvips/base/psfonts.mapに書き込んでおく。

2000/11/21
言葉の覚え書き

(1)ゾッキ本……割引本。(2)角書き……題名のそばに書いた内容説明文。(3)傘寿……80歳。(4) exは「e to the x」と発音する。

2000/11/20
大数の法則と中心極限定理

F. S. Mishkin and S. G. Eakins, Financial Markets and Institutions, 3rd ed, Addison-Wesley, 2000のp.553に、こんな記述があります。

The law of large numbers says that when many people are insured, the probability distribution of the losses will assume a normal probability distribution, a distribution that allows accurate predictions.

これを読んで「あれ?」と思わない統計屋はモグリ確実です。太字部を和訳すると「大数の法則」ですが、説明の内容は「中心極限定理」ですもの。大数の法則というのは標本数をを増やせば母平均に近づくということで、それほど驚くべきことではありません。しかし中心極限定理は、母集団がどんな分布であれ有限な分散さえもっていれば、標本数を多くとっていくと正規分布に近づく――という驚愕すべき事実を物語ったものです。というわけで、この記述は誤植だと思うのですが……。

2000/11/19
ケインズの「確率論」

隙間時間に鈴木義一郎『現代統計学小事典』(講談社ブルーバックス、B1208、1998年)を眺めている。なぜか「キャピタルゲイン」が項目に入っていたり、経済学関係の著述が怪しかったりするものの、けっこう楽しめる本だ。あのケインズが『確率論』という本を著わしていることを知って、私はびっくりした。どうも数学者からは冷ややかな目で見られ、コルモゴロフの測度論的確率論で完全に忘れ去られてしまったらしい。いちど読んでみたい気がする。

2000/11/18
2冊の随筆

待ち合わせをしていて手持ちぶさただったので何か随筆でもと思い、『鴎外随筆集』(千葉俊二編、岩波文庫緑6-8、2000年)と、河野与一『新編 学問の曲り角』(原二郎編、岩波文庫緑164-1、2000年)とを買い求めた。それなりにおもしろい。

森鴎外とは出会いが悪かったと感じている。高校時分に「舞姫」を読まされて辟易したのだが、そこで想像した以上に文章が軽快なのが気に入った。もう1冊の河野与一氏は、15日の文で「ある翻訳家」と記した人だ。桑原武雄の師匠にあたる教養人とのこと。たしかに言語感覚が鋭い。「怠けものの語学勉強法」の中に、狩野さんがおっしゃっていた言語による欧文文字面の話が出ていた(pp.220-221)。

いま眼だけに限って字面が綺麗か汚いかと云えば閑人の戯言だと片附けられそうですが、あれで活字の型というものはイギリスとフランスでは違うし、スイスやオランダの本にはどうやら中立版といったような趣が出ていることなど、気がつけば中々面白い。少し凝り出すと出版社つまり印刷所による特色が見えて来ます。活字の型は別にしても国語によって頁の顔附は多趣多様です。ギリシャ、ヘブライ、アラビア、ロシアの異様な文字は勿論の事、同じラテン文字を使っていてもドイツ語は大文字が多くて重苦しいとかフランス語のアクサンやポーランド語の髭や尻尾はうるさいとか好き嫌いがありましょうが、少なくとも私にはラテン文字を列べている国語の中で流石に本元のラテン語は印刷面がすっきりしていてしかもそつがなく、一番美しいと思います。

言語感覚が鋭い、というのは、たとえば「少し凝り出すと出版社つまり印刷所による特色が見えて来ます」のリズムに出ている。この1文は、3-5-5-3-5-3-5-3-3というリズムになっている。

2000/11/17
SHAZAMの日本語マニュアル

統計パッケージ「SHAZAM」を使う気が起こらなかったのは、日本語の説明書がなかったためです。しかし、今週になって「SHAZAM日本語公式ホームページ」があることを知りました。日本語マニュアルのPDF版が、そこからダウンロードできます。SHAZAMのおもしろいのは、プロットをGNUPLOTで表示することができる点です。印刷まで考えると、このソフトは悪くないですね。

2000/11/16
とても安い教科書

McGraw-Hillの「International Student Edition(ISE)」をご存じですか? この版なら、著名な教科書が格安で手に入ります。たとえばMood, Graybill and Boes. Introduction to the theory of statistics(3rd ed)Amazon.co.jpで買うと8754円ですが、ISEでは3800円です。Johnston. Econometric methodsも同じような具合。(ただしJohnstonは最新版が今年に出ており、そのISEはまだない。)Rudin. Real and complex analysisにいたっては、3000円を切っています。おまけに、これらの書籍はA5版の紙表紙で、とても扱いやすい。私が探した範囲では、丸善大学生協インターネットサービスにありました。ひょっとしたら、他の出版社も同じような学生向け格安教科書を販売しているかもしれません。(追記。Addison Wesley LongmanはISEを出していました。)

2000/11/15
辞典を手早く引く工夫――天地を逆に

紙の辞典はさっと引けることが理想だ。そのために、机の奥に本棚を据えて、よく使う辞典類は手のとどく距離にならべている。もちろん、カバーははずしておく。これで十分だと思っていたが、まだ甘かったようだ。中井久夫『治療文化論――精神医学的再構築の試み』(岩波書店、同時代ライブラリー30、1990年)の「あとがき」(p.214)で、もう一工夫を見かけた。

すべての辞典は天地が逆になっていた。やってみられるといいが、こうしておくと一挙動で本を手にとることができる。天地を正しくしておくと三挙動を要するのである。

以上は、ある翻訳家の書斎の様子を著者が記したものである。辞典の天地を逆にしておくことで、くるっと上から回転させるように引き出すと、すでに引ける体勢がととのっているわけだ。なかなかうまい。

2000/11/14
VineLinux/PPCメモ

VineLinux/PPC 2.1のybinを使うことで、Mac OS/Mac OS X/Linuxが共存できるようになった。VineLinux/PPCは、松林さんの作成されたHTMLマニュアルがすばらしい。これを見るだけで支障なくインストールできると思うが、アナログ接続の液晶ディスプレイを使用している場合の特殊事例を以下に書いておく。(私はPowerMac G4 400/PCIにEIZO FlexScan E141Lという液晶ディスプレイを接続している。)

インストールは、install textと打ってテキスト画面で行なう。intsall-g3としてはいけない。ビデオカードの周波数が高すぎて、液晶ディスプレイでは表示できないためだ。

また私の環境では、画面の表示領域が16ドットだけ左に寄っている。起動する都度fbset -move rightを2回行なってもいいが、GNOMEを使っているなら、Control Centerの「セッション」-「スタートアップ」で設定するのが簡単だ。たとえば私の環境でfbsetすると

mode "name"
#D: 64.994MHz, H:48.359kHz, V:59.998Hz
geometry 1024 768 1024 768 32
timings 15386 139 45 29 3 136 6
endmode

となっている。ここで、timingの項目は左からクロック・左余白・右余白・上余白・下余白だ。(最後の2つは忘れた。)右に16ドット移動させたいのなら、第2項の値に16を加え、第3項の値から16を引けばよい。すなわち、

fbset -t 15386 155 29 29 3 136 6

というのを起動時の設定に加えておく。

2000/11/13
教養主義とムサボリ

学部4年間を教養教育だけにすべきだという意見を耳にすることがある。実例をあげると、矢内裕幸『怖いもんなし23人の喋るぞ!――闘う文化人のガクモンのすすめ』(旺文社、1999年)という対談集の中で浅田彰がしゃべっていた。私自身、大学に入りたてのころはそう考えていたこともあったのだが、やがて全面的な賛同はできなくなった。

教養主義の怖いところは、失敗するとただのムサボリになってしまう点だ。「必読文献」と誰かが勝手に決めたものを、読まなくてはならないという強迫観念から読み、知識のガラクタを飾って虚勢を張る。こうなると哀しい。このご時世、「必読文献」は指数的に増えているのだから、身がもつはずがない。焦燥感に駆られるばかりではなかろうか。

解決策はひとつしかない。「あれもこれも」というムサボリを捨て、「あれとこれ」と居直ってしまうことだ。ある専門を決めてそれに打ち込み、一定の自信がわいたら他の分野に手を出していくのがいい。もっと言えば、専門分野を学ぶ過程で近代そのものを知るのだという意気込みがあれば楽しい。そうして身につけたものが真の教養だろう。

というわけで、制度としては専門を先に、教養を後に持っていくほうがいい。(森嶋通夫もそう主張していたが、その理由は私とはちがっていたように記憶している。)旧制では理科系でも大学までは微積分を学ばなかった反面、高校の物理で微分方程式が出てきていた。一見すると無茶なカリキュラムだが、そう悪くない気もする。微積分を学ぶとき、すでに応用の場面が心の中に用意できているからだ。

2000/11/12
Xのスクロールバー

むかしからの疑問のひとつに、なぜX Window Systemのスクロールバーは細いのかという点があった。Mac OSやWindowsよりも、ずいぶん細い。Xは昔から高解像度で使うことが多かったから、ことさら細く見えた。カスタマイズがしやすいと謳われている各種ウィンドウシステムの中で、スクロールバーの太さが変えられるものを見つけたことがない。

さらに驚いたのは、Mac OS X Public BetaのスクロールバーがXのそれとまったく同じ太さになっていた――つまり細くなっていた点だ。もちろんOS XはUNIXなのだから不思議はないのだが、バーの太さを変えることはそんなに困難なのだろうか。『Software Design』誌などを見ると、太いバーもあるようなのだが……。

2000/11/11
たまにはふつうの日記を書きます

パソコンの家庭教師に行く。Outlook Expressでメールアドレスをクリックするとc:ドライブが出てくる問題は、標準のブラウザーをInternet Explorerにすることで解決した。(つまり、Netscape Communicatorを標準に設定しているとOEのURLクリック機能は動作しない。)そのほか、総和関数の使い方など。帰りに、私の洋なし観を一変させた革命的美味「La France」をいただく。

井の頭公園を通り抜けているとき、橋の上で欄干のあいだに鼻を突きだして鴨をのぞきこんでいる犬を見かけた。その姿がとてもよかった。こういうときにデジタルカメラがあると便利なのだろう。

中央線でいすに座っていると、女子高校生らしき女の子たちが痴漢をめぐる会話をしていた。彼女たちは、1年に数回は痴漢の被害を受けているという。通学中に痴漢を捕まえて警察にもっていくと、4時間目まで拘束されてしまうそうだ。これは被害者の人権問題だなあ、と思った。


2000/11/10
TX Fonts 2.0を使ってみた

TX Fontsは、Timesを基調とした数式書体のセットです(奥村先生による解説)。MathTimeやMathTime Plusにとってかわるものだと言えましょう。出力結果は上々で、PDF化にもいい。あと、文書を見て知ったのは、TimesとTimes New Romanとの違いです。イタリック体に差があるのですね。ただ、txsy.vfが付属していないようで、PKフォントが生成できずにいます。

2000/11/9
Mac OS X Public Betaと視覚障害

私の指導教官はたいそう目が悪く、白黒反転させないと文字が読めない。研究室にはそのような装置があるし、Macの画面も商用ソフトで反転させている。(Windowsは標準で白黒反転できる。)ところが、このソフトはMac OS X ServerのBlue Boxでは使えていたものの、Mac OS X Public Betaでは使えなかったそうだ。

2000/11/8
苅谷(1995)を読んで

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書1249、1995年)から、何点か得るものがあった。

高校進学率が50%台にあった1950年代の調査によれば、「親の経済力の違いだけが高校進学のチャンスを決めていたわけではなかった」。「親の学歴が示すような家庭の文化的環境の差異が、子どもの成績を媒介として、高校進学を左右していたのである」という。文化の力をおろそかにしてはいけない。社会の学校化は、家庭の文化力の衰退を反映している。進学など無意味という発想を家庭がもつことは、かなり重要なことだ。

文科系職業では、修士卒業生の企業への門戸は学部卒よりも狭い。このことは、企業が高等教育(技術職のような職人芸をのぞく)の無価値に気がついていることを示している。やがて、高等教育の価値はもっと下がるだろう。高学歴と社会的成功とは無相関でありえる点に社会の構成員の多くが気がつけば、学歴インフレは沈静化する。

もうひとつの指摘は、「教育の場面における、能力や成績に基づく序列化を忌避する心情」だ。たとえば能力別学級に対する根強い抵抗感は、どこにあるのだろうか。近ごろ教育基本法を敵視する頭の不自由な方々がいらっしゃるが、同法では「能力に応じ」た教育が提唱されている。米国でも西欧でも、能力別に教育を行なうことは差別とはみなされていないからだ。第一、能力別教育はアメリカが戦後にもたらしたもので、1950年代中頃までは小中学校で導入されており、日教組も熱心だったらしい。

2000/11/7
オレンジジュースとリンゴジュース

オレンジをしぼったらオレンジジュースの味がするのに、リンゴをミキサーにかけて濾過してもリンゴジュースの味がしないのはどうしてだろう。

2000/11/6
君は瞬間部分積分を見たか

代々木ゼミナール京都校で浪人しているとき、竹内充という先生に世話になった。TeXもこの先生を通じて知ったし、永田雅宜他『理系のための線型代数の基礎』(紀伊国屋書店、1987年)という本もいただいた。けっこう便利で、線型代数が必要になったときは最初に見返す。

その竹内先生は、山本矩一郎から実際に授業を受けたことを自慢していた。その自慢の中に、「瞬間部分積分」というものがあった。面倒な部分積分が一瞬にしてできるという売り文句だったが、あいにく私は文科系だったので、試験範囲外の部分積分を理解しようとしなかった。

部分積分を実際に計算するようになったのは大学に入ってからだ。たしかに面倒で、私はよく間違える。そのたびに、瞬間部分積分が頭をよぎる。まあ教養のころは「面倒だ」で済むのだけれど、統計学をやっていて部分積分を使っていると、なかなか深刻になってくる。

立川・八王子・代々木の古本屋をまわってみたが、山本矩一郎の例の本は見あたらない。せめて現在に継承されているものはないかと探したところ、清史弘『数学・受験教科書8.微分と積分』(SEG出版、2000年)のpp.198-201にあるのを見つけた。一言で説明すると、積分するとこうなりそうだなあという関数を先に書いておいて、あとで辻褄を合わせるのが瞬間部分積分らしい。

ついでだから、清(2000)でなるほどなと思った部分積分の「オリジナル」な公式を下に書いておこう。ただし関数f(x) は多項式とする。また、積分定数は省略。

追記010709。その後、山本矩一郎『山本の直感的微積分――はじめにグラフありき』(代々木ライブラリー、1989年)を得た。上に述べたオリジナルな公式は、すでに山本(1989)に書かれていることを報告しておく。

追記030202。「2ちゃんねる」の某スレッドからリンクされているという指摘をメールで送ってくれた方がいたので、お礼がてら「いまいち瞬間部分積分が分からないんだが」という42氏へのコメントを書いておきました。

2000/11/4
マニュアル以前

何かのメーリングリストに載っていた話題です。ある大学で、UNIXのコマンドが試験に出るという話がありました。たとえば「カレントディレクトリを表示するコマンドは?」というようなものです。この問題に対して、マニュアルを見るだけで済む知識を問うて何の意味があるのだ、という批判が出ました。

この批判に対する意見が興味深いものでした。いまの学生は自分でマニュアルを読むことすらできないのだ、というのです。新卒社員をマニュアル人間と揶揄した時代がありましたが、いまや「マニュアル以前」の人間が高等教育機関に発生しているようですね。

2000/11/3
乳幼児の輸入を促進せよ

少子高齢化に対する私の案は、題名のとおりだ。子宝に恵まれなかった人々や子育てをもういちど楽しみたい方々を対象に、里親ブームを引き起こす。孫の顔が見たいのに息子・娘が結婚しないためそれが不可能となっている人々の孫がわりでもよい。とにかく、毎年数十万人単位で発展途上国(中国を含む)から乳幼児を輸入する――などというと、かなり危ない発想のように思われるかもしれないので、以下に説明しよう。

労働力人口の減少は、基本的には経済を縮小させる。生産性が上がれば人口減少下でも経済成長は可能だというかもしれないが、人口構成が高齢化する中で技術革新などアテにはできまい。そうした状況では、実質金利がマイナスで均衡する危険が発生する。そうなると、デフレ回避のために慢性的なインフレをつづけなくてはならない。(名目金利は0未満にはできないから、フィッシャー方程式によれば期待インフレで穴埋めせざるをえない。)かといって今さら「産めよ増やせよ」と叫んでも遅いだろう。となると、最も即効性があるのは乳幼児の輸入ではないか。

この問題を放置しておけば、やがて日本は労働力を移民に頼る必要が出てくる。だが、移民の大量流入による社会の混乱は容易に想定できるだろう。それよりも、毎年少しずつ異邦人を日本に溶け込ませていくほうが安全だ。それに、輸入ベイビーには数多くの役割が期待できる。里親は代表的な親よりも所得が高く、かつ年齢も高いことが予想される。子育ては、外を駆け回るようなものよりむしろ本を読み聞かせたりといった知的なものとなるだろう。やがて彼らが日本を支える頭脳となってくれればよい。また、某国の崩壊によって移民が大量に流入したときには、彼らは社会の緩衝剤となりうる。

乳幼児の人権云々に関して言えば、どこで生まれるか自体は確率的な事象じゃないか。生まれた場所が育ての親の胎内であろうが海外であろうが試験管であろうが、その後の人生に大きく影響を与えることはなかろう。それに、間引かれるよりは当人にとってもずっとよい。

2000/11/2
Microsoft Wordの大幅改良

私がWordを使いたがらなかったのは、何よりキー操作が行ないづらいからだった。しかし世間はWordを使うことを求めてくることもあって、そういうときにはWZ Editorで書いたものをWordに貼り付けてやり過ごす。

ところが、である(『噂の真相』風)。Normal.dotというファイルを編集することで、キー定義が好きなように変更できることを知った。そこで、いい機会とばかりに徹底的に変更しまくった。もちろん、control+Sは「保存」ではなく「カーソルを左に移動」になっている。control+Hの「前文字削除」はキー定義できなかったので、マクロで対処した。基本的にはJedit4のキー定義を踏襲している。commandキーをAltキーに見立てた。

その結果、Wordは見違えるほど使いやすくなった。さすがにMobile Pentium IIIともなると、Word 97の動作も重たくはない。(Office 2000は捨てました。)これでようやく、Wordがストレスなく使えるようになった。めでたしめでたし。

2000/11/1
デシベルの意味を誤解していた

デシベル(dB)という音の単位がある。私は、60dBは50dBよりも2割だけ音が大きいと思っていた。ところが豊田秀樹『違いを見ぬく統計学――実験計画と分散分析入門』(講談社ブルーバックスB1013、1994年)によれば、5倍ちがうという。『辞林21』(三省堂)で調べてみると、「音圧が1m2あたり2×10-5ニュートンの時を0デシベルとし,音圧が10倍(音の強さが100倍)となるごとに20デシベルを加える」そうだ。要は、マグニチュードや等級みたいなものだったわけ。